スキーと自己責任



 リフトの下は、なぜ滑ってはいけないのだろうか。木が伐採されていて、ちょうど細長いコースになっているのはご存知だろう。圧雪車が入らないので、パウダー好きな人間がシュプールを残していたりするが、たまにリフトに乗っていたスクールの先生に、大声で怒鳴られたりしているスキーヤーを見かけることもある。
 実は私もリフト下を滑ったことが3回ある。福島の沼尻と妙高の赤倉温泉、群馬の川場でだ。いずれもストックを落とすなどして、拾いに行ったものだ(物を落としたら、すぐに落ちた場所の目印と、リフトの支柱の番号を記憶すること)。スクールの先生から怒鳴られるのがイヤなので、わざわざ片方だけのストックを立てて持ち、申し訳にボーゲンでキョロキョロしながら滑った。しかし、赤倉の時はフカフカの深雪だったので、このまま滑り続けたいと思ったものだ。
 
 カナダのウィスラーでは、リフト下は先に滑った者勝ちという感じで、シュプールが無いことはほとんど無かった。たまに人が転がっているとリフト上から「がんばれ」「どうした」みたいな声援が飛ぶ。なぜリフト下を滑ったらいけないのか、某スクールの先生に聞いたら、「コースとして伐採していないので、切り株とかあって、危ないから」とのことだ。

 注意すべき相違点は、「危ない時は禁止するか否か」にある。日本では事故はスキー場の責任になると言って、禁止しまくる。それも道理だが、欧米ではスキー場の責任範囲というものを明確にしたうえで、あとは自己の責任にまかせて自由に滑らせる。さらに細かく言うならば、ヨーロッパでは自己責任が当然という風潮がある。
 
 (北米では)
 前提として、アメリカなどは訴訟社会であり、スキーヤーが無謀に滑って立ち木に衝突、死亡すると遺族はスキー場を訴えるのが通常である。スキー場の近くにはスキー宿や食堂に並ぶように「スキー場を訴えることを専門にする弁護士の事務所」があり、病院にケガしたスキーヤーが担架で搬送されようとすると、担架に横たわるスキーヤーのポケットに名刺をねじ込む弁護士もいるという。この調子だから夏場は牧場で冬はスキー場なんていうスキー場が賠償費用や裁判の費用で経営できなくなるという現象まで起こったらしい。
 そのため、スキー場のあちこち、あるいはリフト券などに「スキーヤーの責任範囲(responsibility codeという

マウントハット(ニュージーランド)での看板。
日本語でも書いてあるところがミソ。
・いつでもコントロールできるスピードで滑って下さい
 など。

)」が掲げられている。裁判になったときに、ちゃんと注意書きがあったかが争点になるからだ。有名な話だが、飼っている猫を乾かすために電子レンジに入れて死なせてしまい、「使用説明書に猫を入れるなと書いてない」と訴訟したらメーカーが負けて多額の賠償金を払うことになった、なんて国だから必死だ。カナダやオーストラリア、ニュージーランドもこの傾向が強い。ニュージーランドは日本語の注意書きも多かった。
 カナダではガケの近くには「ここを滑るか否かは自分の責任で判断しなさい」なんていう看板もあった。ウィスラーではスキーヤーが木の間を滑るのを喜ぶらしい。木が無い場所で雪崩が発生して死ぬとスキー場の責任になるが、木に激突して死んでもそれはスキーヤーの責任である。

(ヨーロッパでは)
 さらにヨーロッパではこの傾向が強くなる。基本的に、看板もろくに出さない。バレブランシュの氷河スキーでは、私の一行はジェアン氷河への分岐(このサイトのトップページの写真)を選んだが、あるスキーヤーはバレブランシュ氷河の本流へと滑って行った。ガイドは「あっちの方にはクレバスが発生している」と言ったが、別に大声で呼び止めるようなことはしなかった。クレバスに落ちて死ぬことがあってもそれは個人の勝手らしい。
 「自己責任」という言葉はバブル崩壊後の証券会社がしきりに唱えだしていたように記憶しているが、日本人には未だに馴染みにくい観念なのかもしれない。

(気になった裁判)
 私がスキーを始めて4年目くらいに、このエッセイを書く動機にもなった事件があった。私が1級目指してゴリ

熊の湯から見た前山

ゴリ滑っていた1996年、行きつけの志賀高原熊の湯のモロ前面、前山でいい年こいたオヤジたちが「立ち入り禁止」の看板を無視してコース外滑走した。そして不運というか天罰というか雪崩が発生して、メンバーの一人が死亡したのだ。ところがその奥さんがスキー場とその時一緒にいた仲間に総額1億円(いちおくえん!)の損害賠償請求を行ったのだ。
 すでに海外スキー経験の多かった私は非常に気になっていた。仲間はともかく、スキー場が負けることがあれば、日本のスキー場経営やスキーヤーの楽しむ範囲に深刻な影響をもたらすと考えられるからだ。
 そして2001年2月に長野地方裁判所が結論を出した。この遺族の請求はすべて棄却された。
 私の見解では、死亡した人がいやがっていたのに仲間が無理に誘ったとかいならともかく、禁止コースを滑るのは赤信号で道路を横断するようなものであり、そういう行動は自己責任であって、ましてやスキー場には悪いイメージを与えてごめんなさいと謝罪する必要があったのではと思う。こういうことで訴訟を起こす神経と、判決に5年もかかる裁判所も疑問なのだが、いずれにせよ欧米の人が聞いたら、日本人の甘えとして笑われることだろう。

 日本では、ゴンドラを持つスキー場でオフピステを開放しているのはニセコとアライが有名だ。私はトップシーズンのアライに行ったことがあるが、そこでは立ち木に激突したスキーヤーが頭から血を流して担架で運ばれるのを見たことがある。その人が「いや、私に責任がありますから」と言っていたことに少しは救われる思いがしたものだ。

 当初は圧雪コースとオフピステの棲み分けとか、ライセンス制とか、いろいろ思うことがあったが、いずれにせよ自己責任に対する人の意識の持ち方を変えていくことが大切だと感じた次第であった。